現代社会での「ノンケ生活」はコスパが良い?
世の中には、二種類のホモがいる。
自分の性癖を曝け出しながら生きるホモと、そうじゃないホモ。
僕の場合は、面倒なので後者を選んだ。いわゆる、ノンケ生活である。
初めに言っておくと、僕はホモの人権に関する活動等に全然興味がない。
昨今、というよりもずっと前から、世間ではやれ同姓婚だ、LGBTだと声があがっている。僕のゲイ友達にも、パレードに参加したり様々な啓蒙活動をしている奴がいるけれど、はっきり言って、僕にとってはどうでもいいことに過ぎない。
ニュースやネットでも、こういった話題を見かける機会が多いのに、なんで当のゲイ本人が興味を持っていないのか、気になる人もいるだろう。
結論から言えば、そんなことに構っている余裕はないのである。
田舎から出て都会で一人暮らし。やっすい賃金で働きながら、毎日冷凍食品のお弁当を作って節約し、大好きなゲームや二次元アイドル、ツイッターなどに自分の時間を使うので精一杯なのに、趣味に社会活動って書いちゃうタイプの人たちとお友達になる余裕があるわけがない。
実際、周りのホモを見ていても、ツイッターで男の裸を漁っているか、ナイモンで男の裸を漁っているか、エロ動画サイトで男の裸を漁っているかの3パターンが9割を占めるので、世の中そんなもんじゃないか、と思う。なんでこんなに世間で話題になっているのに、当のゲイたちの反応が鈍いのか。少なくとも僕自身は、「この社会で生きていく方法を既に見つけているから」が答えである。
ホモは生きているだけで面倒なことに巻き込まれやすい。
学生時代は、好きな相手がいても告白できなかったり、オカマっぽいといじめられたり、友達の話す好きな女優の話についていけなかったりする。
そこで覚える技が「なりきり」だ。
自分は好きな相手が他校にいるとか、オカマっぽいのはキャラなのよ~もっといじって~♡とか、俺、素人じゃないと抜けないから女優興味ないんだよね~とか、そういう「設定」を自分の中で作り上げる。
最初は下手くそでも、自分を守るために僕はこの技を磨いた。
さらにそこから、「相手の言動のパターンを読む」、「相手も納得させる話し方のロジックを組む」、「相手に気持ちを悟らせないポーカーフェイスを身に着ける」……こんな風にして、この社会に溶け込んでしまう。そのうち、それが当たり前になり、いつでもどこでも、無意識に「なりきる」ことができるようになる。
そんな状態で生きてきたものだから、職場の人間や家族や地元の友達も、
僕のことをノンケだと思って接している。
周りから見た「僕」という存在が、すでに固まっている以上、
いまさら「実はホモでした~wwwテッテレーww」みたいなドッキリ大成功するわけにもいかない。そのドッキリで親父が心停止してしまったら笑いごとでは済まされないのだ。
こんな風に考えてみればシンプルなことなのに、世の中では何故か「オープンでいようよ!怖がらなくていい!」みたいな無責任な言葉が飛び交っている。当事者からすれば、うるせえわ、と思わず舌打ちしてしまう。
差別や偏見は、僕自身を含め、どんな人も少なからず抱えているものだと思う。
それを完全に無くすことは難しいし、「差別」「偏見」を解消するために人生を捧げていくというのも、なかなかに骨の折れる話だ。
それならば。「ノンケ」として振る舞い、生活していくというのは、
現代社会において、かなりコスパが良い生き方ではないだろうか。
「ノンケになる」ことは難しくても、TPOに合わせてノンケになりきればいい。
さっきまでガミガミ怒鳴っていた母親が、電話口で急に声を変えるように、普段は男をオカズにしているホモが、「俺わりと巨乳好きなんすよね~w」と言うだけで、円滑なコミュニケーションが成り立つのである。
はじめは、僕自身もこの生き方に疑問を感じたこともある。
「自分自身を偽るようで、辛い」と。
けれど、24時間365日ノンケで居続ける必要はない。
心を許した親友の前、SNSの鍵アカウント、行きつけのバーや馴染みの店。
あるいは、僕のようにブログを書くのもいいかもしれない。
自分の本心はどこかに吐露して、外では理想の自分になりきればいい。
ノンケになりきるのは疲れるかもしれない。
けれど、ゲイである自分を常に表に出しておくのは、
頭の悪い老害や、叩く相手を常に探しているような残念ピーポーの恰好の的にされてしまうというリスクがある。
そのリスクを背負ってでも、ゲイの自分を貫くか。
あるいはノンケ生活で節約するか。
いずれにしろ、こんな悩みを抱えて生きているのだから、
贅沢は言わずとも、毎月50万円ぐらいはホモ手当が欲しいものだ。
神威ゴクウ